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新日本を護るために

2024年12月23日gallery,ようこそ日本を護るために

2025年 12月18日 その結果どうなる?

言うのは自由だがその結果どうなるのかと思うことがある。今朝ほどネットを覗くと「あのクルーグマン教授が最後のコラムで強調した「トランプ=カキストクラシー政治」とは?」という過激な見出しの現代ビジネス記事があった。この記事にあるあのグルーグマン教授という方はノーベル経済学賞を受賞し国際貿易や変動為替相場の権威なのだそうだ。このような方がウクライナ戦争については2014年時に起こった経緯を知らなければ正しい理解が出来ないと発言されており、このときアメリカやドイツがどのように関わったのかについて触れている。要するにこの戦争は一方的にロシアが起こした戦争ではないと言う事をおっしゃりたいのだと思うが、その発言とトランプ=カキストクラシー政治という評価はどのように繋がっているのか最後まで記事から読み取ることが出来なかった。

私としては、事の正否よりも戦争を止めることの方がよほど優先に思える。というのも昨今のウクライナ情勢は戦争の勝敗よりも核戦争の脅威の方がより切実になってきているからだ。つまりこれまで継続されてきたウクライナ戦争は、長距離ミサイルやドローン攻撃の応酬という戦争の段階にあるからだ。これによる脅威は戦闘が急にエスカレートし易くなり、このままでは核兵器のボタンにも手が届きかねない状態まで緊張は高まっていたのである。この流れにようやく希望の光が見えてきたのは、トランプアメリカ次期大統領の停戦交渉の呼びかけによるものだ。

ようするにこの記事にはこの行為に対する評価が全くでてこないのがこの文章の不可思議なところである。私のような単純な人間にとってはトランプ次期大統領の呼びかけでウクライナ戦争が停戦になれば、トランプ氏は人類の英雄のような存在に思えるのだ。

しかもこのような悶々とした思いの内に今度は、先日トランプ次期大統領と会食をした安倍昭恵夫人までTV番組のコメンテーターから非難を受けているというのだ。要するにこれまでのマスメディアは戦争を止めようとする様々な活動に対し、ことごとく攻撃的発言を繰り返してきた。しかもその論拠はまるで具体性がなくただただ感情的な憎悪を煽るもので、その暴言を信じ込ませるための舞台装置が肩書や経歴なのだ。このことを具体的に示すとすれば、マスコミによるトランプ氏のポピュリズムというレッテル貼りだ。たとえば選挙活動中トランプ氏が苦戦する州には高学歴の住民が多いのだという、まるで科学的とは思えないこじつけを平気で用いるところなどこの記事と似通っている。私はこのような頭脳明晰で立派な肩書を持つ方が、あい矛盾することを平気で公言することは大切な経歴に傷をつけるのではないかと逆に心配になる。

ところでEU、NATOではウクライナへの平和維持部隊の派兵が検討されているそうだ。これではなんだか昔あった映画の「北京の55日」を思い出してしまう。というのも、ロシアがウクライナ軍の保有まで拒絶していないのであれば、ウクライナは自国民で守った方が先の未来まで国家主権が保たれるのではないだろうか。老婆心ながら現状の日本を含め、清朝の末路を知れば、ウクライナ国民にはもっと慎重になって欲しいと思うのだ。マスコミ報道を鵜呑みにするとドイツ、フランス経済の二の舞になりかねない。