独立自尊 奥の細道
桜より松は二木を三月越し
現在の宮城県岩沼市にある二木の松、別の呼び方武隈の松を訪れた時の句です。実はこの二木の松は大変いわれのある松で、平安前期藤原元善の時代から歌に詠まれ、松自体も今に伝わるのは7代目だそうです。そしてあの西行法師もこの松について歌を残しています。「枯れにける松なき宿の武隈は みきといひても甲斐なかるべし」
残念ながら西行法師の訪れた頃は、4代目の松になりますが松は枯れていて跡形もなかったようです。
そして芭蕉が訪れたのは5代目の松で、見事その松を見届けます。また、弟子の挙白もこのことを知ってか、師匠が旅立つにあたって選別に詠んだ句が「武隈の松見せ申せ遅桜」です。
この「桜より松は二木を三月越し」という句ですが、挙白への返しの意味が込められています。そのための対句や掛け言葉を思わせる箇所がありますが、このような言葉遊びは江戸時代の庶民の間で詩や芝居のセリフを通して相手に意を伝えることを当時の教養と考えられていました。
西洋では教養といえば貴族や有産階級でのたしなみとされていましたが、江戸時代では長屋の八つあんがすでに、このような教養を身に着けていました。この句は芭蕉にしては俗っぽく感じる方もいらっしゃるようですが、私は時代の粋を感じます。