G-BN130W2PGN

お問い合わせ先

mail@makotoazuma.com

 

独立自尊 奥の細道

2024年7月18日gallery,ようこそ,絵本墨絵 俳句

しおらしき名や小松吹く萩すすき

前回予告の通り今回も覚悟の投稿になる。というのも尾花沢に始まり、「一つ家に」の句と関連する記事になるからだ。これらの投稿に不謹慎だと思われる方にとって以降の記事はあまり好ましいものではなくなるので、一応お断りしてから続けたいと思う。

ではこれから先の展開は、ほぼ私の妄想でつづられる空想の世界になってくる、とはいえそれなりの根拠を元に展開を試みているので、いくらかでもお楽しみ頂ければ幸いに思う。

それでは早速、この句を私がどのように解釈したか述べたいと思う。一般的に枕にある「しおらしき名や」は小松という地名について形容しているとされている。私などは小松と言えば、真っ先にパワーショベルやブルドーザーが浮かんでくるのだが、一般的なこの句の解釈では小さい松をしおらしい松と解釈されているようだ、では次に来る、吹くとは何を指す言葉なのだろうか、これらの解釈では萩やススキを揺らす秋風のことと捉えられているようだ。つまりしおらしい名の小松という地で秋風を感じている場面となるのだが、へそ曲がりの私は、それだけでは共感できないでいた。

では私が何を受け入れられなかったのかと言えば、しおらしきが小松という地名を形容しているというところだ。コマツがしおらしいのであれば、もっと以前にもそれにふさわしい名の地を芭蕉は旅しているはずだが、今回だけ何故ことさら小松の地名に芭蕉はしおらしさを感じたのだろうか。たしかに奥の細道の文脈から「このところの神社に詣うず」と記載されているため、このところといえば小松意外に考えられないので、この句は小松を詠んだ歌と捉えられても仕方がない。とは言えやはり、地名にしおらしいという形容は違和感を感じる。

ここからは私の勝手な解釈になるが、私はこのしおらしきという形容詞は、萩という花に掛かるのだと思っている、それは萩のもつ花言葉からも推測することが出来る。萩の花言葉には内気、柔らかな心という意味があるからだ。では小松吹くとは何を表す言葉なのか、実は小松は南風で有名なところだ。小松は日本海に面しているが、リアス式海岸の特徴も持っている。リアス式海岸といえば北陸地方が有名だが、このリアス式海岸にはフェーン現象による南風が起こるという特徴がある。私はこの南風のことを地元では小松と詠んだのではないだろうか、残念ながら実際、現地でそのような言い方をするのかどうか確認できていないのだが、この件について志村文隆氏の「下北半島・岩手三陸沿岸地域における風名語彙の分布」という論文を見つけた。当然小松についての記述はないが、北陸地方では風向きを地方名で表現することがあると記述されている。ということは、このような表現が小松であったとしても不思議ではないように感じている。

つまり小松という南風がしおらしき名の萩やススキに吹き付けているという解釈だ。

ところで、この句の最後はススキで終わっているのだが、これでは季重なりとなって小中学生が俳句の添削を受ければいい評価はもらえない。ところが、これは俳聖の句なのだうっかりということは考えずらい、むしろこのような重複には何らかの重要な意味が込められていると採るべきだろう。

ここで、以前「一つ家に」という句をご紹介したが、この句も最後は萩と月で季重なりの句になっている。奥の細道によると萩は芭蕉で月は遊女と記述されているが、私は月を坊主頭の芭蕉、萩を遊女と解釈し萩の言葉は遊女を示すと考えた。このことにより芭蕉が山上憶良に詠まれる秋の七草を暗示しようとしていたのではないだろうか。実はこの秋の七草で最も重要とされる草は「オミナエシ」という草なのだが、これを漢字で表記すると女郎花となる。先の項では秋の七草について記述しなかったが、それは証拠に乏しくたんなるこじつけと受け取られかねないからだ。

話を今回紹介の句に戻すと、この句の最後もやはり季重なりになっている。私はこの季重なりによって、芭蕉は秋の七草に鑑賞者の視線を向けたかったのだと考えている。もともとそこには、ススキを尾花と記述している(参考までに明治に作られた筝曲萩の露では萩は女性、尾花は男性に例えられている)、そして尾と言えば物の最後を示す言葉である。だとすれば秋の七草で最も重要とされる花は女郎花であり、そのことを芭蕉は季重なりを使って読者に印象付けているのではないだろうか。

ところで、本当にこのような状況に奥の細道があったとすれば、周りにお供する弟子は穏やかではいられないはずだ。そこで、この時期の曾良の日記を見返してみると、やはり、芭蕉一行は不穏な状況に陥っていたようだ。

そのことは、いささか場外乱闘のようではあるが、曾良の旅日記からご紹介したい。

以下は8月29日の俳諧で詠まれた句になる。

「ぬれて行や人もおかしき萩の雨」・・・・・ 芭蕉

「心せよ下駄の響きも萩の露」 ・・・・・・ 曾良

「かまきりや引きこぼしたる萩の露」・・・・ 北支

弟子の曾良、北支がよんだ萩の露※には男女の微妙な関係を暗示させる意味が隠されているのではないだろうか。

このあたりの奥の細道からは芭蕉の激しい感情の起伏を感じる。

※筝曲演奏家福田恭子HP参考