独立自尊 奥の細道
名月や 北国日和 定めなき
この句について奥の細道では、おそらく宿の亭主との会話を句にしたものと解釈されている。
宿について芭蕉は、宿の主から酒を進められ一緒に晴れ渡った夜空の月を眺めていた。芭蕉は明日もこのよう見事な月を眺めることが出来るだろうかと主に尋ねると、主は北国の天気は変わりやすいので雨かも知れんと答えた。そこで、芭蕉は旅の疲れも構わず神社に世参りに出かけた。翌日主が言ったように雨が降って月を眺めることはできなかった。という2夜にわたる物語なのだが、この物語は一体何を我々に伝えているのだろうか、旅の趣を伝えるためのエピソードなのだろうか、ついうことでやはり自分なりの飛んでも解釈を始めてみた。
芭蕉は全昌寺から曾良とも別れ、いよいよ奥の細道を完成させるため自らを漂泊の旅に追い込んでいた。もともとこの旅は西行法師の生き方にあこがれ、自分の育てた俳諧蕉風の教え不易流行の世界を身をもって完成させるためだった。ところが人の心は扇を引き裂くようには、簡単に割り切れるものではなかった。おそらく神仏に縋りつきたいほどの虚しさに襲われていたのかもしれない。
月のように涼やかに旅を終えたい芭蕉であったが、内心耐え難い寂寥感に襲われていたのかもしれない。この句にある名月とは自分の毅然とした理想の姿ではないだろうか、ところがその思いは揺れて次の日には姿を変えてしまうのだ。
ところで芭蕉は、この段で氣比神宮の仲哀天皇の霊廟と言っているが、神宮と関りはあっても霊廟は存在して無いようだ。墳墓は大阪なので勘違いとも考えづらい。おそらく何かの関係性を伝えたかったのだと思うが、芭蕉が、ここで伝えたかったこととは、ひょっとしたら勝利の女神、神功皇后のことではないだろうか、この時の芭蕉は女神に対し自分の敗北を宣言したかったのではないだろうか。