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2022年 月を育てる

2022年6月29日gallery,ようこそ絵画 無意識

昨日放送されたストーンヘンジの番組はとても興味深かった。イギリスのストーンヘンジは昔から有名だったが、同じようなストーンサークルの遺跡が秋田県に存在しているそうだ。不思議なことに秋田とイギリスではほぼ地球の裏側にある島国同士なのだが、まったく同じような遺跡が海をまたいで同時に産まれていたらしい。どういう事かと言えば遺跡が出来たのが紀元前2000頃で秋田の遺跡とイギリスの遺跡を繋ぐようなような遺跡は見つかっていないということなのだ。ところでこの2つの遺跡は形ばかりではなく、いずれも冬至の日を正確に指し示すようにできているそうだ。

これはきっと巨大な古代のカレンダーなんだろうなと思った瞬間、私の悪い病気が始まった。また面倒そうな疑問が湧いてきたのだ。

現在日本で使われている暦はグレゴリオ歴で太陽の動きに合わせてカレンダーが作られている。この太陽暦は農耕にとって必ず必要になる技術だ。我々日本人は米を主食としているが、穀物の中でも特に稲作は手間がかかるはずだ、にもかかわらず江戸時代まで日本では太陰暦が使われていた。

話を戻すと、神道の世界でも最高位の神様は、天照大御神とされる。当然太陽を崇める信仰があるのだから日本は古来から太陽暦が使われていてもおかしくない。ところが実際太陽暦は明治以降まで使われなかった、不思議なことに紀元前2000年ころから暦に関わる遺跡をもっていながら、5世紀ごろに中国から伝わったとされるがそれ以降、日本で独自の暦を作っているにもかかわらず、太陽暦に全く触れられてはいないのだ。これはいったいなななんでだろう。

そもそも人々が太陰暦(月歴)を必ず必要とする生活とはどのようなものだろうか、私は移動を生業とする人々には太陰暦(月歴)が必要になるのではないかと思っている、理由の1つには海で暮らす時には満潮干潮の時期は潮の流れを知るきっかけになるだろうし、移動の際周りに何の目印もない大海原の真ん中でも、その時期の星の位置と、その時期を特定させるための月の形、その高さによって自分の位置を正確に知ることが出来るのだ。また陸地においても、砂漠を横切り交易をおこなっていた商人や、牧畜を営む人々にも同じことが言えるのではないだろうか。このように考えると広大な国土を持つ中国において、太陰暦が必要とされた理由がわかる。

では日本人が太陰暦(月歴)を必要とした理由は何だろう、もともと日本人が海洋民族だったころの名残なのだろうか、その昔し倭寇と言う言葉が海外の記録にあるようだが、日本での扱いは一部の海賊集団のようなもので公に活躍した集団ではない、とても暦の編纂に影響を及ぼすほどの集団とは考えにくいのだ。ところで日本最古の物語に竹取物語と言うものがある。帝も袖にしたかぐや姫の物語なのだが、そういえば竹取物語には月と言う言葉がびっしり登場していた。と言うことはこの物語りはファンタジーでは無かったのではないだろうか。参考 奇跡の天体ショー