今日は好日Vol.2
2023年 4月7日 眼差し
先ほど工藤栄一監督の高瀬舟という映画を見た。森鴎外の小説を映画化したものだが、私は小説を読んでいないので、どんな内容か知りたいと思いいつものように番組一覧から、さわりだけ覗こうと思ったのだが、とうとう最後までチャンネルを変えることが出来なかった。しかも私は番組の途中から視聴したつもりだったが、意外なほど早くエンドロールが現れて驚いた。
ちなみにその内容はとてもシリアスで差別や貧困、最後は安楽死というとても救いがたい内容だった。ところが、この救いがたいテーマにもかかわらずこの映画から受けた印象は不思議と清々しいものだった。物語を要約すると、父母に6歳のころ先立たれた2人の兄弟は、貧困の中でも真面目に仕事に励んで暮らしていた、ところがある日、主人公の弟が屋根瓦の修理を手伝っていた時に、あやまって屋根から滑り落ち、下半身不随となってしまう。その後彼ら兄弟の生活はますます厳しくなるのだが、暮らし向きに貢献できない弟は、次第に追い詰められ、死のうとして首を切りつけるが死にきれなかった。とうとう痛みに耐えかねて兄に助けを求めるが、その結果兄である主人公は弟を殺めた咎により島流しになってしまう。物語はその舞台となる京都の高瀬川から、流刑地へ運ばれる時の様子を描いた作品だ。私にはこの映画からそこに関わる登場人物の優しさが、とてもよく伝わってきた。こんなところが、これほど切ないテーマの映画にもかかわらず、聴衆を映画に釘付けにする魅力ではないだろうか。
特に印象に残っているのが、台車に乗り井戸端でようやく水を汲みをする弟をそっと手伝う長屋の住人、あるいは主人公の島流しに付き添う町役人は、主人公の身の上に感じ入り主人公に甘酒を勧めるようなシーンもあった。もともとこの町役人は、主人公がそれまで出会った罪人とは全く異質なものを感じていた。それは主人公が、これから島に流され2度と世間に戻れないという境遇にありながら、うろたえることもせず、むしろそのことに対して満足しているかのように振舞っていることだった。そのことを知った役人は、この男を憐れむというよりは、その眼差しにいつしか敬意をもつようになっていた。それはいかなる境遇にあっても、この男は今あることへの感謝をけっして忘れることがなかったからだ。
話は変わるが以前YouTubeの動画に「ホームレスのケンさん」という動画を見つけた。確か大学卒業後40年間ホームレス生活なのだそうだ。私はその生活がいいとは思わないが、彼はその動画の中で「今の生活には何でも揃っている」と言っていた。そんな彼が貨幣経済の仕組みに背を向けてまで望んだものとは何か、預言者の彼がそんなことを問われたとすれば、躊躇なく「それは自由だろ」と答えるように私は感じている。