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2023年 日本を護るために

2024年9月6日gallery,ようこそ,今日のできごと

2024年 7月3日 欲しがりません核兵器

さしのぼる朝日のごとくさわやかにもたまほしきは心なりけり

明治天皇の御歌

明治皇后の対句 函館八幡宮にて

 

 

1945年8月15日昭和天皇よりポツダム宣言を受諾する旨終戦の詔勅が発布された。とはいえ世界的には戦艦ミズーリ号での降伏文書調印式をもって終戦という受け取り方になる、つまりこのことは昭和天皇による一方的な終戦宣言ともいえるのだ。

さてこの日ラジオの中で国民に諭された大事なお言葉がある。それは「堪え難きを絶え、偲び難きを偲び、持って万世の太平を開かんと欲す」というお言葉だ。このお言葉は今日の屈辱は、これからの平和な未来を築くために耐え忍びましょうというお言葉だ。私はこの万世の太平こそ天皇陛下を戴く臣民としてもっとも大切にしなければならない心ではないかと思っている。つまり日本が戦争で受けた恨みや辛みはこの言葉と引き換えになったのだと思っている。

そう思えば万世の太平を望むことが被曝で苦しむ方々やこの戦争で命や家族を失った人たちに報いることになると思っているのだ。

このことに照らし合わせると、核兵器の保有というのは、万世の太平を願う行為からは甚だ逸脱した行為に映る。

とは言いながら、このような思いは以前の私はなら気に掛けることもなかっただろう、私は元々からそのような思いで暮らしていたわけではないのだ。それどころかこのようなことからは、正直なところかなり距離を置いた暮らしをしていたのだ。ようするに、戦力の保持は憲法違反で、ドンパチやって痛い目を見るくらいなら、むしろ核兵器を抑止力に使ったほうが、合理的なのではないかとさえ思っていたのである。しかしながら近頃実際に戦争の足音が身近に迫るってくると、はたしてこの考えは本当に正しいのか自信が持てなくなってきた。

何故かといえば現在目の前で起こっている戦争は、核兵器を持つ国と持たない国との戦争だからだ。これでは核兵器が戦争の抑止力になるという考えは完全にその根拠を失ってしまうことになる。そればかりでなく核兵器を保有するということが、どのようなことを意味するのかよくよく考えてみれば、それは人類の未来を閉ざしてしまう行為に他ならないず、これでは、尊い犠牲によって託された祖先の思いをまさに踏みにじる行為に等しいのではないだろうか。つまりこれを持ちながら万世の太平を開こうなどと公言することは大いなる矛盾であり、そのようなあり様に気が付かないのは、まさに知性の欠如と思われても仕方ないのである。そこでこの記事では改めて核兵器が本当に戦争抑止の手立てになるかどうかを検証してみたい。

核兵器は戦争抑止力になるのか

まずは核兵器が戦争の抑止力になるのかといえば、そうではないというのが動かしがたい事実である。実際この戦争は呆れるほど核を持っている国と全く持っていない国との戦争である。しかも、これほどの戦力差があるにもかかわらず、2年以上経過した今でも戦闘が収まらないのは、核兵器が戦争の抑止には何ら貢献していないことの証拠ではないだろうか。またこれらの戦争と言っても、実際は国同士の対立構造ではなく、むしろ現状を見ればテロや内戦の延長上に戦闘があると解釈した方が受け入れやすいだろう。そしてこのような対立構造では核兵器の均衡という構図は成り立たないのである。

核兵器は通常兵器よりコストが安いのか

確かに際限のない軍拡で何十万人の兵隊を維持することは、とてつもない軍事費が掛ることは事実である。確かに核兵器による無言の圧力が戦争の抑止になれば、戦争によって人命が失われることもなく、この通りであれば、これほどコストの掛からない防衛はないという考えもある。ところがこの考えはすでに現実に即していないということが証明されている。要するに核兵器によってもたらされるのは、勝利などというものではなく、ともに滅びるという人類の絶滅でしかない。ところが実際の戦闘から見えてくるのは、先ほど述べたように戦争の形態が当事国同士の対立という構図から、切っ掛けの捉えずらい内戦やテロに近い状態から戦闘は始まっている。つまり核兵器があれば戦闘は抑止できるという前提が、すでに崩れているのである。要するに現状ですら通常兵器を持たずに核兵器だけで国防を考えることは現実的ではないのである。現状はむしろその逆で通常兵器同志の衝突が増えているようにさえ感じる。つまり現代の戦闘は総力戦というより目に見えないゲリラ戦が主流になりつつあると解釈できる。実際2つの超大国が、アフガニスタンでは戦闘が収拾のつかない状態に陥りいずれの超大国もほうほうの呈で軍隊を引き揚げることになった。ということは防衛力を核兵器で代替することは出来ないということだろう。

しかも核兵器はコスパが良いというのも間違いである。たとえ日本に核弾頭を作る技術があったにせよ、実戦配備となれば、それよりさらに高いハードルが立ちはだかる。例えば日本は最新鋭のミサイルや核弾頭を準備することにそれほど時間はかからないとしても、実際に核弾頭を配備するということになれば、当然その効果について実験で証明しなければならない。そうは言っても現代ではコンピュータによるシュミレーションで実験可能という見方もあるらしいが、脅しに使う武器であれば地下実験なり海上なりで、その威力を周りに誇示する必要がある。自国の英霊さえ参拝出来ない国がこのハードルをクリアーできるとは到底思えない。さらに厳しいと思えるのは、このミサイルに使う誘導管制装置だ。はたして日本は独自でこれらを保有できるだろうか。つまり現在保有のイージスシステムなどは元々アメリカ軍との連携を想定していて、これを核兵器の運用に当てはめることはあまりにも危険な行為だろう。つまりまともな管制装置すらこれからの課題になる。などと考えれば考えるほど核配備云々というのは、憲法改正などを期待するよりも遥かに厳しい道のりが待っている。それだけではない核兵器は唯保有するだけでも膨大な経費が必要になる。これは通常兵器のメンテナンスとは比べようもないほどの維持費がかかるだろう。通常兵器のメンテナンスだけでも厳しい自衛隊にこれらの配備を云々することは、全くの机上の空論にすぎない。

国防の未来

さてこれらの理由から核配備はありえないとしても、日本の周辺を見ればこの脅威に日本が常にさらされていることも明らかなのである。恐らく世界中で日本ほど核の脅威にさらされている国も無いだろう、実際日本の上空に他国の弾道ミサイルがウーバー並みに届いているのだ。

さてそこで核の抑止力を持たないとすれば、このような核攻撃からどのように国民を守って行けば良いのだろうか。

まず、その一つ目は核攻撃に対抗できる防空壕の建設である。というのも広島、長崎の体験から爆心地に近くても遮蔽物によって生き長らえた方のお話を聞くことがある。確かに被曝による後遺症は避けられないとしても、このような備えは全く無意味ではないようだ。そうだとすれば、大都市において防空壕の建設は市民を護るための必須の条件ともいえる。例えば地下鉄や貯水場など防空壕として活用可能な施設があれば、積極的にその利用を検討し、防空壕として利用するための改修が必要になる。それは放射能汚染物質が簡単に侵入できないような出入口の改造であり、吸排気、水道、電源、通信、医療設備、外出用防護服などとさらには、一定期間の生存を支える食料の貯蔵や飲み水の確保、備品の備えが必要になるだろう。というのも先ごろあったイスラエルの戦争では世界一の精度を持つアイアンドームが機能しなかったために、イスラエル市民には多くの犠牲者が出た通常兵器の攻撃でもこれだけの被害が出るのであれば、核兵器を撃ち漏らした時の被害は想像がつかないことになる。まずはこのような防空施設の整備を真っ先にお願いしたところだ。

次に対空用兵装の充実が必要になるだろう。この時真っ先に攻撃対象となるのが基地や防空施設だが、問題は人口が集中する大都市だろう。私はここに対する具体的な計画をあまりというかほとんど聞いたことかない。この記事では、他国の核兵器にどの様に対抗するかに絞るが、要するに相手国の核ミサイルが主要都市に届く前に、いかにしてこれらの弾道ミサイルや巡航ミサイルを破壊するのかということになる。因みに、これまでの防衛戦略ではパトリオットミサイルを中心にしたミサイル防衛が防空の主流だった。ところがこの技術も日進月歩で相手国のミサイルはすでに超音速で飛来することが可能になっている。つまり今日では従来のミサイル防衛兵器だけでは心もとない環境になっている状態だ。そこで、今話題の日本が世界に先駆けて開発するレールガンやレーザー兵器を積極的に活用し実践配備急ぐことで、日本の防空能力は格段に上がることになる。要するに直ちにこれに対する予算を厚くして一刻も早くこの配備を進めることだ。もしこの配備が成功すれば世界のほとんどの核兵器はこの兵器によって無力化されるだろう。つまりこの配備を急ぐことは核兵器廃絶に向けた最も確かな歩みとなる。