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2023年 日本を護るために

2024年9月8日gallery,ようこそ,今日のできごと

2024年 8月1日 民主主義と数の暴力

近頃、驚くような言葉を耳にすることが多くなった。それが数の暴力という言葉で驚くことに、それが国会議員の方や天秤ばかりのバッチを付けた方までそんなことを言い出す始末で、この国の司法や立法は一体どこにたどり着くのかと心配どころか恐怖すら感じてしまう。というのも私は日本を民主主義の国であると認識しているからだ。

これによりすべての日本国国民が、この国の政治に関わることを平等な権利として保障されている。とはいえこれを実現するためには、多数決という数による優位性が最終的な決定権を持つことになる。残念ながらここには正しさの選択というものがないつまり、民主主義とは正しい政治を目的にしているのではなく、すべての国民が公平に政治に参加することを最優先にした制度ということになる。

なので、民主主義を実践するためには国民それぞれが自国の政策に対し責任をもたされる制度ともいえる。

ところが近頃ではこのような考えは、差別という言葉の前で徐々にその力を失いつつある。つまり現代はマイノリティーや弱い立場の人間を優先させることによって、多数が逆に肩身の狭いところに追いやられているのではないだろうか。

つまり民主主義はそもそも多数が少数を圧倒する社会であるという認識が必要だ。その対極にあるのが独裁政治でいい時はいいが悪いときは最悪の目に合う。ここまで、を振り返れば民主主義国家というのは、選挙が開催されてはじめて民主主義を名乗ることが出来るのだ。

ところで最近話題のマイノリティーについて考えてみる。今回ここでは性自認の問題について取り上げようと思う。というのもこれを推進する国では子供の自由意思により、自分の成長を止めるホルモン剤の使用を積極的に進めているそうだ。これを知った親が介入すると今度は親が訴えられるという状況らしい。私でさえ思春期における体の変化にはある意味恐怖を覚えた、というのも体の変化は未知なる世界への旅立ちをも意味するもので、この時期精神的に不安定になることは当然の摂理と言える。

それにしても同性婚の人が何故あれ程戸籍に拘るのか、自分の感性をそれほど優先されるのであれば、戸籍上の問題などどうでもいいように感じるのだが。そもそも戸籍とは何かといえば、律令制度にその起源がある、つまり戸籍とは税金を徴収するための制度で、現在において納税はお金で簡単に納めることが出来るのだが、その昔は作物などの物納が当たり前で、これを村が一括して納めていた。なので昔は苗字もなく個人を特定させる必要がなかったのである。ところが、明治以降になるとお金が普及し戸籍により厳密に、個人から徴収が可能になったということで、もともと社会的地位を表現しているものではない。

さて今日は何を言いたかったのかといえば、民主主義は多数が少数に優先するという制度ではあるが、それによってすべての国民が公平な権利により政治に参加できる制度であり、そもそもこれにより正しい社会がもたらされというものでもない。