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2023年 日本を護るために

2024年9月8日gallery,ようこそ,今日のできごと

2024年 8月9日 長崎の鐘

ちょっと前にエールというドラマで古関裕而氏が主人公で描かれていた。彼は戦前から活躍された著名な作曲家で、戦中に軍歌を作曲し軍に協力したことを悔いていた。長崎の鐘というのはその彼が戦後作曲した長崎の悲惨さを描いた反戦歌でもある。この曲が作曲されたのは1949年で原爆投下から4年後の事である。とはいえ当時はまだGHQの占領下で、原爆投下をあからさまに非難するかのような歌は当時から物議を醸していた。というのも当時GHQに逆らえば公的職業からは即刻追放された時代なのである。

さて今年は原爆投下から89年が過ぎてしまった。ところが、この事実に対し日本人の受け止め方はどの様に変化しただろうか、私の子供の頃は原爆によって終戦がもたらされ日本は全滅せずに済んだのだと教わった。この点については、すでにこのブログで何度も私の考えを綴っているので、ご興味のある方はご覧いただきたい。改めて私が核兵器から受ける思いは、核兵器は極めて邪悪な兵器であり、人類に破滅以外の何物も、もたらさないという思に至っている。ここにきて困ったことに、最近の論調として特に国防に高い関心を持つ方々は核兵器を日本も保有するべきだという論調が高まっている。その論拠になっているのが核兵器保有国同士は戦争当事国にならないという論だが、むしろこれによって引き起こされているのは代理戦争という目に見えない影の対立構造で、残念なことにその舞台となってしまった国民は勝手に自分たちで戦争を止めることすらできない。まさに無間地獄を味わうことになるのだ。要するにこのような対立構造を理解しながらも核兵器の保有を望むことは精神的な穢れではないのかとさえ思ってしまうのだ。

というのも、この考えのさらに罪深いところには、結局これほど破壊力のある兵器を使えば軍事施設だけを狙うことは不可能で、当然この兵器の持つ殺傷力を最大に生かすとすれば、人口の密集する大都市の上空で爆発を起こさせることになる。だから相手も自制的にならざるを得ないという極めて相手の考えに依存した論法なのである。今時リモートで何でもできる時代に、果たしてこの考えは友好な国防と言えるのだろうか。しかも実際にこの様に非道な被害を受けた日本が、それと同じ惨劇を他国の罪のない市民に与えて良いのだろうかと思う。因みに先日観たTVドラマでは日本もまた総力戦の研究をしていたが、それによる敗北は明らかだったにも関わらず戦争に突き進んでしまったという場面があった。私はこのシーンに疑問を感じたのは、この場面を見た人は潜在的に日本は市民を戦争に巻き込むことを知りながら戦争に突き進んだと解釈されてしまうことだ。確かにこのような研究を否定できないが、実際に日本軍の取った行動はこのような被害を抑える配慮を怠らなかった事実だろう。それが慰安所という施設に繋がっている。これは軍の規律と兵隊の健康を保つために民間に委託し整えた施設で、これがあったということは戦場では起こりがちな強姦や強盗を軍隊では極力起こさせない配慮を行っていたということなのである。当時の日本軍はそれほどのプライドを保つよう組織されていた。つまり無抵抗の人々を犠牲にしても勝てばいいという思いはなかったのだ。

更に理解しなければならないのは核抑止というのは核ミサイルを持っていれば抑止になるという考えは少し甘い考えのように感じる。というのも抑止力を実効性のあるものにするためには、普段から撃たれる前に撃つということが常態化され実行されていなければ意味がない。果たしてこれを今の自衛隊法のまま実行できるかのと言われれば、これまた核抑止は日本にとって馴染まないと言うことになる。何故なら日本本土を弾道ミサイルが飛び越えたり、いまだに所在不明の風船一つ撃墜出来ないのである。これに引き替え核保有国はどれほど小さな攻撃も国として見逃すようなことはしない、つまりこのような行動一つ一つが抑止力の実効性を高めているのだ。

要するに核を保有すれば、通常兵器はいらないという説も間違いになり、あわせて核兵器は安上がりというのも間違いなのである。というのも世界中の核保有国は通常兵器も充実させているのが当たり前で、この流れから言っても核兵器云々よりまず通常兵器の充実こそが先に来るのである。

さて核兵器がどれほどのコストになるのか、それが抑止力と言えるまで装備を整えるためにはどれほどのコストが必要か、これから日本が配備を進めて周辺国に追いつき、核のバランスを取れるようになるまでには、恐らくこれから10兆円くらいの費用は必要になるだろう、これに合わせて通常兵器も充実させるとなれば国防費は天文学的数字になる。私はそんなお金があるなら国中に地下都市が出来上がるのではないかと真剣に思っている。むしろそのような土木工事に税金が使われれば、日本経済にも良い影響が及ぶに違いないと思うのだ。

さて、国防といえば武装の事のように思われがちだが、それより前に検討しなければならないのは政治家のお仕事である法整備だ。現在でも日本の土地を外人が買い占め、街自体が外国のように思える地方も出始めている。要するに、土地の所有のための法律や、治安維持における法整備は、現在待ったなしの状態にある。というのも、今世界中で起きている戦争はこのような法の秩序を蔑ろにするところから始まっているからだ。特に日本国憲法は日本国民誰もが例外なく理解できる法律でなければならない、当たり前のことだがこの国は、それが出来ていない。