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2023年 日本を護るために

2024年9月8日gallery,ようこそ,今日のできごと

2024年 8月23日 公共の福祉

この言葉は憲法で使われる大切な言葉だが、この言葉にも大変なパラドクスがある。というのも基本的人権が優先か公共の福祉が優先かという問題が起こった場合、憲法解釈は簡単に二つに分かれてしまう。たとえば現在大問題になっているSNS等の表現に行き過ぎや嘘があった場合、これにより人命が奪われたり、戦争がエスカレートする原因になったりしている。この場合当然SNSのプラットホームで規制するべきだとは思うが、当然基本的人権である言論や表現の自由を規制してしまうことになる。

さて困ったというのが日本ばかりではなく、現在全世界的な問題となっている。この場合の解決策を考えると、当然ケースバイケースで規制を掛けるしかない、要するに公共性を段階に分けて規制するしかない。例えば双方向で意思の確認が取れる場面では、自由意志が最大限尊重されるべきで、次の段階として同じ嗜好によって繋がるコミュニティーなどでは、コミュニティーの規模に応じた対応が必要になる、それは、双方向での意思確認が不十分になり易く誤解を招く可能性が高まるからだ。最後に国益を左右しかねない情報ともなれば、当然細心の注意が求められる。そこでは情報に対する公平性が問われ、さらにファクトチェックを受けなければならないだろう。最近NHKの外国人向けの放送において、このような国益を損ねかねない放送があったと聞く。この放送局は日本を代表する放送局であり、受信料についても国会の承認を経る必要があることから、これについて政府は処分を含め運営についての厳重な指導をしなければならないだろう。せっかく文化的貢献度の高い放送局にも拘らず、何度もこのようなことが繰り返されていては、これこそ公共の福祉に反するのではないだろうか。

ところで話しをSNSに戻すと、具体的にはプラットホームが情報の安全性を確認し、閲覧者にその安全レベルを表示することはできないだろうか、要するに映画のR指定のようなものをSNSの世界に導入することで、プラットホームが閲覧者に注意喚起を促すものだ。つまりその情報を閲覧した結果責任は最終的に閲覧者が負うことになる。

ところで、話しがSNSの方に傾いてしまったが、私はいまも一番日本に影響を与えているパラドクスは日本国憲法だと思っている。これについてはこのブログで何度も触れてきたところなのだが、日本国憲法には基本的人権である日本国民の生存権について、諸外国の良心に委ねると謳っている。しかもこの憲法には日本人の生命財産を護るために、これ以上何をどうしろと言う文章は見当たらない。そればかりか相手国に脅威を与える武器は保有してはならないとまで言っている。つまり国民の生存は認めるが、何かあっても自分の拳で戦えと言っていると同じだ。これを私が不条理だとするのは、今も問題になっている学校生活において無抵抗の子供たちが受けている被害を見れば明らかで、このように安易に無抵抗を求めることは子供の命に関わる事態に繋がる。

このように日本国内でありながら、最も保護を必要とする子供たちが、真っ先にこのような矛盾の被害にあっているのだ。というのも自分の生まれた国すら肯定できない子供たちは、これから何を信じて生きていったらいいのだろうか。このように無茶なパラドクスの受け入れを強要される子供たちに対し武装が戦争に繋がるのではなく、このような危険を顧みない政治が戦争をもたらすことを伝えたい。このことは日本の歴史において、侍という武装集団が260年以上に渡り他国との戦争を起こさず、しかも国としてのプライドを保っていたことからも証明されている。つまり武装したら平和が保たれないというのは真っ赤なウソで、そればかりでなく、当時アジアのほとんどが400年近くの間、植民地支配を受けていたにもかかわらず自国の主権を保つことが出来たのは、日本はこのような備えを怠らなかったからだと断言できる。

話しを整理すると無抵抗でいれば平和な暮らしが出来ると考えるのは、奴隷が明日の命も大丈夫と考えるのと変わりない。そして武装をすれば戦争を招くというのも前述のとおり嘘になる。そもそも戦争の切っ掛けを考えれば、他国も含めそれは政治による混乱から生じている。つまり国内の見えない対立構造がその切っ掛けを生んでいることが非常に多いのだ。そうならない為には国内の対立や分裂には充分注意が必要になる。つまりこのようなことを極力避けるためにも、日本国憲法のようなパラドクスを放置することは危険な行為になると言わざるをえない。