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 今日のできごと

2021年9月14日gallery,今日のできごと

2021年 8月11日 痛みに引かれゆく

この絵のタイトルです。牛が舌を引っ掛けられて何処かへ連れ去られようとしています。この絵を描いたころは、気づきのための大切なサインという思いを込めたつもりでタイトルを付けました。

いま改めて思い返すと、ひょっとして痛みとはもろ刃の剣ではないかと思うようになりました。つまり、気づきを促すきっかけと、逆に気づきから遠ざける力があるのではないかというものです。

なにせ、痛みの力は強力です。一度痛みを感じさせることが出来れば次からは、恐怖という番人が常に目を光らせて「また痛い目に逢いたいのか」っておどしてくるんです。

痛みの本質とは

そして、ここからは受け手の選択になります。痛みの本質をどお捉えるかということなのですが、あまりにも痛みが強いとこれこそが現実と思い込んでしまいます。

5年ほど前、私も肩を複雑骨折してしまい手術に5時間ほどかかったそうですが、その時の痛みは半年以上続き、つねに肩を犬にでも噛付かれているような感覚がずっと続いていました。

その当時はこの痛みは永遠に収まらないのではないか、恐怖でいたたまれない思いでした。そんな辛い思いも時がたてば消えてしまいました。つまりはいづれ消え去る儚い存在ということです。今でも季節によっては痛みが戻ってきますが、そこが永遠の存在とは認識していません。

現代ではどんな痛みであっても麻酔があれば消え去ってしまいます。おかげで、麻酔がかかっていれば自分の如何なる部分が悲惨な目にあっていたとしても全く動じることが有りません。足を引き裂かれようが手を潰されようが自分の一部であることすら思いの届かない状態になります。

自分の一部にもかかわらずなんと薄情なことかと恨めしく思いたいところですが、結局のところ自分か他の物質かの違いは、それほど些細な信号に支配されているに過ぎないということです。

結局、痛みには幻とは捉えがたいほどの強さがあるために、これがリアリティーだと受け取られがちですが、そんな痛みであっても永遠ではないんです。

痛みに導かれる世界

痛みは宇宙全体から見れば感じることが奇跡であるくらいの微細な信号でしかありません。むしろ生物のくくりで見ても、そのような神経系がそなわる生き物はほんの僅かで貴重な存在だといえます。

つまりこの痛みによって導かれる世界は2つあると感じられます。一つは痛みによってもがき苦しんだり、その痛みが再びやって来るのではないかという恐怖を感じる世界、もうひとつの世界はただある瞬間の世界、そこには感じて、どうのこうのではなく、ただある世界で人間にはその価値を知ることが出来ない世界です。

なぜ、価値がわからないのか、それは単純に比較が出来ない世界だからです。アルキメデスは自分の体積を測るために風呂から溢れる水の量に注目しましたが、湯船の外に世界が有ればの話です。始まりも無ければ、終わりもない世界全体となればどこにも比較の対象が有りません。もし、存在そのものがリアリティーのすべてであるとすれば、目の前におこる現象の世界はリアリティーの見るゆめのようなものです。痛みによって導かれる世界は2つあっても、痛みと悲しみの世界は存在が見続ける夢の世界なんです。

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Posted by makotoazuma