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独立自尊 奥の細道

2024年7月18日gallery,ようこそ,絵本墨絵 俳句

一つ家に遊女も寝たり萩と月

いろいろな解釈がある句だ。ネットでも多く支持されているのが、芭蕉の創作ではないかというものがある。何を根拠にと言えばこの句の裏付けとなる曾良の記述が一切見当たらないからだ。詳細は檜谷昭彦氏の論文で述べられている。さて、これまでどおりこれから私の勝手な解釈を述べるのだが、ほぼ独り言のようなものとしてお読みいただければと思う。またタイトル通りこのような世界には嫌悪感を持たれる方も多くいらっしゃると思うので初めにお断りししておく。

では、私の解釈だが、この句で語られていることは、一部芭蕉の創作があったにせよ事実であったと解釈している。その根拠はこの句に添えられた芭蕉の言葉に、後で曾良に書き留めさせるという文章だ。ということは曾良はその時立ち会っていなかったということではないか。

この状況をもう少し詳しく説明するために、奥の細道にある芭蕉の記述を要約すると。今の新潟県糸魚川市市振の宿に泊まった時に、自分の部屋の隣から2人の遊女と一人の男の会話が聞こえて来た。どうやら伊勢神宮参拝のため遊郭に断りなく出て来たものらしい。しかも彼女たちは自分の身の上を嘆いて愚痴をこぼしていた様子だった。ところが翌朝、僧侶の姿をしていた芭蕉にいきなり涙ながら伊勢神宮までの同行をせがんできたのだが、芭蕉は低調に断り、そのことを曾良に書き留めておくように伝えたと書いてあるのだが、そのことが何故遊女たちの慰めになるのか理解できない。案の定、曾良の日記にはそのことについて全く記述がない。日記には、市振りの宿についた翌日出発となっている。

よく読むと不思議な文章であることがわかる。記述の通り芭蕉はたまたま遊女の身の上を知ることになったとしても、遊女たちは芭蕉については何も知らないはずではないか。

ところが翌朝芭蕉の風体だけで、お伊勢参りの動向を依頼している。しかも涙ながらにというかなり切迫している様子だ。いくら、芭蕉が温厚そうに見えたとしても、泣いてまで旅の同行を依頼するとは考えずらい、では視点を変えてこの遊女と芭蕉が以前から面識があった仲だとしたらどうだろうありえないシチュエーションではない。遊女が芭蕉に旅の同行をせがんできた。芭蕉は一度断ったのだが・・・・ということがあったとしたらどうだろう。

思い返すと文月に詠まれた句も芭蕉がそわそわしていたのは、このような経緯があったのではないだろうか。

実は私がこのような邪推を持つようになったのは、鈴木清風のところを訪れた時からだ。あの時詠まれた句で這出でよという句と眉掃をと言う句があったが、この時、鈴木清風から何かしらの接待があったのではないか、という思いがあった。その後、象潟や汐越で詠まれた句も確かな根拠はないが、何かしら繋がりがあるのではと思い、私の勝手な解釈を述べたのだ。

今回この考察を確認するために主に曾良の日記を参考にしたのだが、そこで面白い発見があった。

鈴木清風のところを立った後、高野平右衛門亭で詠まれた俳諧に「集りに遊女の名をとむる月」と「ねむた咲く木陰を書のかげろいに」とここでいきなり遊女と、ねむた(ねむの木)のキーワードが見つかった。5月24日の俳諧で詠まれた歌だ。芭蕉が象潟でみたであろう西施の面影とはどのような姿だったのか、しかも芭蕉は西施の唯一のウィークポイント足の太さについても、鶴の脛のようだど打ち消している。

更に言えば俳諧では「汐越の・・」と言う句の汐越のところは、俳諧で披露された時には「腰たけや」となっている、海に鶴がいるとは考えづらいのだが、仮に別の海鳥を見ていたとしても、「腰たけ」の表現はしないはずだ、腰たけなどと言う言葉を使うとすれは半襦袢と言う下着のことだろうと思う。

今回は長い文章になったが、この文章がこれから先もこのブログによる奥の細道の解釈に、かなり大きな影響が及ぼすことになると思っているからだ。

今回のテーマで特に重要になるキーワードが萩という言葉だ。私はこのハギと言う言葉が登場してくるときは特に注意が必要になると思っている。 つまりハギという言葉が、鶴脛のハギにも懸かっているのではないかと思うからだ。ようするに鶴脛のハギと萩は同じ対象に向けて使われているということだ。このことは奥の細道に、いきなり飛び出してきた遊女たちとは、歌の中に詠まれている間は同行が続いると考えている。芭蕉は遊女の身の上に思いを馳せ自分を萩、遊女を月に例えたようだが、このようなことから、私はこれを逆にとっている。つまり萩は遊女の例えで、月は芭蕉、つまり、遊女と付きそう芭蕉ではないだろうか。それは良いとしてもこれが本当なら河合曾良氏の立場ってかなりせつないと思うが、どうだったんだろう。