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2023年 日本を護るために

2024年9月6日gallery,ようこそ,今日のできごと

2024年 7月15日 自認とは

5年前ならこんなことを言えば、頭がおかしいと言われかねない環境だった。ところが今では頭がおかしという人間の方がおかしいと言われる時代になってしまった。では本当はどうなのか、それこそ自認の問題ではないだろうか。ここで私の認識を明らかにすれば、はっきり今がおかしいと思っている。何故かといえばこのような問題提起すら合理的ではないと思っているのだ。

順序だてて説明すると、本来自認とは法律に拘束されず、自由であるべきものだと私は思っている。では何故、法律に拘束されてはいけないのかといえば、法律とは元々公序良俗という社会が本来、基本的価値観として共有するものだからだ。どういう事かといえば日本の法律は憲法を含め、すべての法律がこの公序良俗というものを規範としている。

ところが性自認の理解促進法というのは、一体社会の公序良俗になっているのか、私は今もって理解できない。そもそも人間の性別といえば世の中に2つしか確認されていない。まれに両性具有ということもあるが、遺伝が起こらないということは生物としては成り立っていないということだろう。つまりこれほどありえないことに公序良俗という概念を当て嵌めることは合理的と言えるのだろうか。しかもこのことで社会が被る被害はお金で換算すると、それこそとてつもないことになる。これがもたらす混乱は銭湯の番台だけではないのだ。

例えば生命保険などは性差によりハッキリ平均余命が変わってくるが、これによる違いを評価できなければ当然、保険料の価格設定が出来なくなりこれによる社会的被害は想像を絶するだろう。こればかりではなく女性は母体としてのハッキリした特徴があり、これを社会が認め守っていくことが、少子化対策に求められる社会の永続性に繋がるはずだ。

要するにこれらのことは、個人が性をどのように認識するかということと全く別の事柄なのだ。つまり社会がこれからどのように秩序を保ち繁栄していくかを考えれば、そこに暮らす人々の文化的配慮や個人の損得を超えた考え方が必ず必要になる。つまり法律は社会の維持という前提によって存在するものであって個人の信条とは一線を隔するものだからである。

とはいえ、性の自認が特定の個人に精神的苦痛を与えているというのも見過ごすことは出来ない、何故ならこの問題は法律を決めて規制を掛けるような話ではないはずで、この解決には、それよりまず個人がなぜ自分の性を受け入れられないのか、それぞれの生い立ちから検証していく必要があると思っている。というのも私にとってこのことは、このブログで取り上げている無意識の世界にも繋がる事象と考えるからだ。つまり無意識を提唱するフロイトやユングもこの繋がりを特に重要視しているのだ。

私が予想する性の不一致とは、何らかのトラウマが潜在的な意識となり特定の性別に嫌悪感を抱かせているのではないかというものだ。このことは性別だけに留まらず、自己存在そのものを否定する自己嫌悪感となり、やがて引きこもりという社会現象を生んでいるのではないかと思っている。

この数は現在日本においては146万人とどんどん増加しており、今日の深刻な社会問題となっている。私はこのようなことは社会全体の歪みが具現化したものではないかと危惧している。つまりこのような現象が増え続けていることこそ目を向けるべき対象であり、彼らが自己を否定し続ける原因はどこにあるのか社会は真剣に目を向けるべきだろう。私はこの現象と性的自認の問題は、それほど大きな違いはないのではないかと考えている。これは私の感にすぎないが、この問題には社会が見失ってしまった何かに原因があると思っている。