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2023年 日本を護るために

2024年9月8日gallery,ようこそ,今日のできごと

2024年 7月30日 反戦の象徴

先日日曜美術館で香月泰男氏をテーマにした放送があった。アート好きにはたまらない魅力の作家だが、その絵はシベリア抑留をテーマにした重い作風の絵画だ。とはいえそのおどろおどろしい世界をアート作品として昇華させ、抑留の意味さえ知らなければ、モノトーンの美しさに惚れ惚れしてしまうが、作者の心は悲しみで満ちている。なかでも画面に登場する木喰仏を思わせるキャラクターはどれも同じように見えながら、様々な個性の叫びを叫び続けている。

ところでこのシベリア抑留とは何か、よくよく考えてみるとそこには、つぎつぎ不思議なことを感じてしまう。確かにこの抑留は戦争の結果起こったことには違いないのだが、彼らは戦争捕虜だったのかといえば、そうではないと言わざるをえない。というのも抑留が始まった時には、日本は武装解除に応じてすでに戦争は終結していたのだ。それにも拘らず兵は軍服のまま貨車に載せられ、それぞれの居留地に送られてしまった。このような状況であれば当然抑留者はいまだに軍隊組織は存続していると思っていたに違いない。ここでハッキリしなければならないのは、彼らはこの時軍人ではなくすでに一般人なのである。つまり1945年9月2日には戦争は終結したと認められるので、以降戦争捕虜は存在しない。それを受けてこの件では抑留という言葉が使われたのだと思う、とはいえ、これでは戦後賠償の交渉も不透明なままソ連に対し日本は兵士や民間人の労働力を支払ったということになるのではないだろうか。

話しを整理するとシベリア抑留は戦争が招いた結果には違いないとしても、この経緯を冷静に見てみれば武装解除された無抵抗の人間を、戦後の賠償責任があるとは思えない国に対して日本は無断で売り渡したのではないだろうか。その結果どうなったかといえば、この恨みは何故か相手国ではなく、過去の軍隊組織や天皇陛下に向けられてしまったのである。結局すべての恨みを無言で天皇陛下が受け止められたことになるのだが、いまだにこの風潮は無くならない。

このように香月氏の抑留体験は大変悲惨なものではあるが、反戦に至る道筋としては慎重に理解する必要がある。というのもこれまで述べた通り、この事件は明らかに戦後に起こった事件と言えるからだ。つまり57万人以上の屈強な兵士達が武装を放棄し無抵抗となったために起きた悲劇とは言えないだろうか。さらにいえばこのような非道を取り仕切った人間は歴史の闇に消えてしまっているのである。

とはいえそもそも軍隊とは巨大な武装組織であり、ここに様々な個性が集まれば危険極まりない存在と思われるのも道理なのである。だからといって現在のように政府がこれを監視することが安全なのかといえば、そっちの方がよほど怖いというのが正直な私の思いになる。では軍隊というただでさえ危険極まりない組織の秩序を、どのように維持していくのかという問題になるのだが、これもまた過去に習うことがベストの回答になると思われる。どういう事かといえばww1までの日本の軍隊は世界一規律を重んじる軍隊だった。このことを今に伝えるのが年末に歌われるベートーベンの第九だ、この起源を辿ればww1において日本の捕虜になったドイツ軍が坂東捕虜収容所において収容所の福利厚生のために行ったコンサートに行着く。さらに日本軍のモラルの高さを例に挙げれば、資源確保が戦争の切っ掛けとなったww2においても、日本海軍は通商破壊戦が常識の時代でありながら、民間輸送船に対する攻撃を極力控えているのだ。

私はこれが日本軍の伝統的モラルだと思っている。では何故、日本軍はこのようなモラルを保つことが出来たのかといえば、それは皇軍ということばに尽きる。これを可能にしていたのが、まさに教育の力で、これに用いられた軍人勅諭の力なのである。これは明治天皇御自らが各々の軍人に対し直接呼びかけたもので、皇軍としての忠節・礼儀・武勇・信義・質素の徳目を重んじることは、天皇ひいては国民の喜びに繋がるのだと勅諭の中で仰られている。

さて反戦というのは耳障りのいい言葉で、体裁を整えるだけならこれだけ連呼していれば、とりあえず周りからは平和主義者と思ってもらえるかもしれない。ところがどうやって戦争を起こらないようにするか、或いは国民の幸せをどう実現するかを考えれば、それは全く次元の違う話になってしまうのだ。