G-BN130W2PGN

お問い合わせ先

mail@makotoazuma.com

 

2023年 日本を護るために

2024年9月22日gallery,ようこそ,今日のできごと

2024年 6月28日 ストレス

ストレスが何か、恐らく簡単には定義できないものだろう。しかもこれを簡単にデメリットと解釈することも危険がありそうだ。

とはいえ、これが原因で精神的な疾患となり就労が困難になる事例は、いまや社会現象のようにも感じる。今日もこれにより多くの教職員が精神的に追い詰められているという記事を見つけた。その内容を見るとこれには大きく2つの問題が浮き上がってくる一つは際限のない労働時間ともう一つは保護者とのトラブルが浮き上がってくる。いわゆるモンスターペアレンツという問題だが、このような事柄はすでに問題視されてから結構な時間がたっているはずだ。ところが、このような記事を見かけるということは、この件についていまだに有効な術がないということなのだろう。

さてこの問題を考える場合、私は当事者のストレスに対する許容度と、ストレスの原因とは同時にバランスを取る必要があるように思える。要するにストレスの原因を完全になくすることよりも、健康被害に至らない状態をコントロールできる術が必要なのではないだろうか。

さて、具体的に考えれば考えるほど、この問題は小手先の技術では解決できない根本的な問題が見えてくる。つまり、それが教育というものが抱える本質なのだともいえるのだ。要するに教育とは何か、教育者とは何かと考えた場合、そこに国民全体としてのコンセンサスがなければ、この問題は根本的に解決されない事案に思えるのだ。例えば私が思い浮かべる教育のイメージを言うと、それは子供と社会との橋渡しを教える場だ。つまり、知識だけの習熟度を伸ばすだけであれば、きょうび教育はテレワークで十分なのである。ところがこれに集団としての在り方を教育の中に入れ込むと教育には無限の問題が沸き上がってくる。

ではこれほどの難問にどの様に立ち向かうのか、その方法として具体的に示せば、私は教育勅語の活用が思い浮かぶ。とはいえ明治といえばそれまで鎖国していた日本が、帝国主義が常識とされる国際社会に飛び出した境目で、この時代を象徴する富国強兵の言葉を後押しするものだと認識している方も多い。

しかしながらその内容を読めば、この認識は説得力が弱くなる。というのもここには軍国主義とは真反対の、人を敬い協調して共に生きようという理想が述べられていて、そればかりか、このことを明治天皇自ら指針にして日々励んでおられると仰っておられるのだ。

そこにはただささやかに臣民として祖先から受け継いだ尊い美風を全うしようということだけが述べられていて、日本人として生きることは、お互いに臣民としての誇りを持ち、祖先からの美風を体現する尊い存在であるということだけなのだ。

さてこの言葉から、何らかのストレスを感じた人はおられるだろうか、私はここから大いに勇気を頂いたと思っている。とはいえ、我々はなによりもその尊い美風を決して穢してはならない。