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思考ラボ

2024年11月17日gallery,ようこそ

2024年 2月4日 ズンチャチャ文化とポンポン文化

年の暮れに世界で有名な久石譲氏がTV番組でベートーベンはロックだと話されていた。放送を視ていた時はなるほどと感心していたのだが、その内容についてあらためて思い出すことが出来ない。ところが先日さよならマエストロというTVドラマでベートーベン先生が取り上げられていて、そういえば久石先生の仰っていた「ベートーベンはロックだ」という意味をもう一度思い出してみたいと思ったが、生来の無精者である私は、そのことについて番組の再放送か、手掛かりになる動画を探すべきだとは思うものの、まどろっこしいことは勝手に省いて、自分の想像に委ねることにした。

そこで思いついてしまったのが、ズンチャッチャ文化とポンポン文化だ。こんなことをいうと、音楽をきちんと学ばれた方には怒られてしまうだろうが、この文は楽譜も読めない人間のたわごとでしかない。

さて、どんなことかと言えば、世の中にはポンポンで表現できる音楽とズンチャチャで表現できる音楽があるのではないかということだ。ところでベートーベン先生の音楽といえば、私はこのズンチャチャ文化に当と思うのだ。つまり私の頭にはワルツもマーチもズンチャチャ音楽なのだ。それに倣ってロックを表現するとロックはズンチャッチャ ズズンチャッチャとなり、これもまたズンチャッチャ文化に当てはまる。つまりビートを表現の大切な要素としたビートーベン先生の音楽は、まさにロックであると定義出来るのではないかだろうか。

何を言いたいのかといえば、音楽はメロディーを楽しむほかにリズムを楽しむ文化という側面がある。ところでこのリズムに注目してみると国境では表現しきれない文化の流れを感じることが出来る。

私は以前からエヴェンキ族やツングース系の民族がズンタッタタというリズムを好みそれと同じ嗜好をネイティブアメリカンや台湾のアミ族に感じていた。私はこれと同じように以前47抜き音階を愛する日本文化は、遠くケルト文化との繋がりを感じるという考察を載せたていた。これと同じように超古代においては、世界中の民族は現在の国境を超える何らかの文化的交流があったのではないかと感じている。

ところがそのように考えると困ったことに、日本の文化はあまりにも特殊に感じるのだ。例えば有名な日本音楽といえば、真っ先に思い浮かぶのが雅楽だろう。ところが、この雅楽が変わっている、というのも雅楽の演奏でその真ん中に置かれる、巨大な太鼓がビートを刻んでいるところを、私は視たことがない。雅楽の演奏で感じるのは、ビートを刻むというよりは、音節の区切りや拍子の速さを示すことに特化した楽器と言える。つまりこの表現は、よく神社で聞く太鼓のズンズンズズズズン、狂言や能のポンポンポポポポンではないか、そうなれば、広い世界には日本以外にもこれと同じような嗜好の音楽があるはずだ。

そんな思いから思いついたのが、バリ島に伝わるケチャダンスとチベットの僧院で打ち鳴らされる銅鑼の音で、銅鑼の音といえばもっとも多用する音楽といえば、やはり中国の京劇で演奏される音楽だろう。もしそうだとすれば、このような音楽の交流は飛び石のように伝わったか、或いは何らかの理由で欠けが生じてしまったということになる。つまりツングース、アメリカ、日本、台湾、フィリピン(タガログ族)の繋がりから別ルートの繋がりがあるのではないか。そんなことを思いながら過ごしていたら、昨晩いつものTLAND VLOGさんの動画(35:45)に偶然これに関わる面白い考察を見つけた。この動画を見ると日本人として考え深いものがある。それは改めて日本が背負わされている世界的責任は重いと感じるのだ。

その責任とは我々の祖先が営んでいた平和の世界を世界に伝えることではないのだろうか。その意味で我々日本人は、これからも滅ぶことがあってはならない。また世界を滅ぼすようなことはあってはならないのだ。

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Posted by makotoazuma