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独立自尊 奥の細道

2024年7月18日gallery,ようこそ,絵本墨絵 俳句

庭掃きて出でばや寺に散る柳

この句を知るまで私は柳がどのように枯れるのか、気にしたことがなかった。枯れ葉といえば紅葉かイチョウの葉が落ちて、あたり一面が赤や黄色におおわれる、どちらかといえば華やかなイメージだ。それに控え柳の葉が落ちるとあたりの景色はどのように見えるのだろうか、そう思って柳が枯れる様子を取材しようと思っていたが、今日までその姿を写真に収めることができないでいた。

左の写真は11月6日の写真で柳の葉はまだ青々としていた。そして右側が11月11日の写真になる、このころの気温はすでに暖房がないと、じっとしていられない寒さになっているのだが、そうした中ようやく柳の葉も黄ばんできたところだったので、来週には柳の落ち葉を撮影することができると思っていた。ところで今日気付いたことだが、芭蕉が奥の細道でこの句を詠んだのは、曾良の日記によると陰暦の9月8日以降のはずだ、これを現代のカレンダーに直すと10月20日にあたる。場所は加賀の国、北海道に比べれば、はるか南で気候は温暖なはずだ。現代は温暖化の影響があるといわれそうだが、それにしても周りの木々の枯れ具合から見ると柳は枯れづらい木なのではないだろうか。つまり芭蕉が訪れた時期の寺ではまだ柳は枯れていなかったのではないだろうか。にもかかわらず柳の葉をあえて持ち出したのは、何かそこに込めたい意味があってのことではないだろうか。

そう思うとこの柳という植物に芭蕉はどんな意味を持たせたかったのだろうか。

前回曾良の残した句について悪ふざけをしたようにとられるかもしれないが、曾良日記の流れを見るとそれほどふざけた解釈とも思えない、ここでは触れないでおくが、当時の俳諧の在り方はかなり世俗的な側面を持ち合わせているように感じる。さてその曾良は前日この全昌寺に泊まり、翌日到着することになる芭蕉へあててわざわざ句を残している。

「夜もすがら秋風聞くやうらの山」この句に対し芭蕉は一日違いのことなのに千里も離れているように感じると嘆いている。ではこの句に込めた曾良の思いは、どのようなものであったろうか。夜中ざわざわした気持ちでいる私などよりも秋風をしみじみ詫びているであろう師匠の環境のほうが、私にはうらやましいと言っているのではないだろうか、つまり私たちのことは安心してくださいと伝えているように感じる。

さて、そのような流れから読むとこの句には、芭蕉の旅に対する新たな決意が込められているのではないだろうか。

ところで奥の細道に柳が登場するのは、これで2回目になる、前回は田一枚という句で西行が歌に詠んだ游行の柳として登場している。私はこの句の解釈で芭蕉の受けた早乙女の華やかな印象と西行が感じる清らかな世界との対比ではないかと考えた。その流れでこの「庭掃きて いでばや寺に 散る柳」の句を読むとここには早乙女に対する憧憬か、あるいは清く流る西行の思いかいずれかの思いがこの句には込められているのではないだろうか、いずれにせよこの段で奥の細道に描かれている情景は爽やかですがすがしい。

 

※この投稿の後11月27日にようやく柳の葉が落ちだした。私の予想に反して、この時期になってもまだ柳の葉は青く枝に下がっていた。