2022年 輝く星空の庭
このタイトルも後付けで、白いキャンバスを目の間においても何のイメージも持たないまま、ウルトラマリンをペインティングナイフで画面に引き延ばす。コバルトブルーを少しおいてみたが2種類の青はお互い響きあってくれるだろうか。
これ ...
2022年 自由を歩む
何からの自由かと言えば、自分の捉われからの自由だ。つまり自分の意識をがんじがらめにしているであろう捉われからの自由だ。何故そんなことを試みようとするのかと言えば。意識こそ現実を想像する根源だと思うからだ。
私は現実から感じ ...
2022年 心の鏡
このタイトルは、この絵を見た私の思いだ。制作にはほとんど時間がかかっていない。具象を丁寧に仕上げる作家からしてみれば、ほぼ詐欺師に近い制作過程かも知れない。私にとってはどちらの優劣もない、絵と対峙した瞬間に起こる感情のドラマがあるかな ...
風流の月を眺めて4句八句
5月の歌
「若草に 足止めて見る 露の虹」
「花筏 過ぎ行く影を 惜しむ鯉」
「風揺らす しだれ桜に 若葉かな」
「今日に咲き 心を覚ます ツ ...
2022年 日頃を生きる
今日は朝から雨が降っていて、おまけに体が縮こまるほど寒い、6月を迎えて汗ばむ日が続いてきたというのに、すっかり裏切られた気持ちになる。
実はこのあたりの寒さを北海道ではリラ冷えと言って、毎年のことなのだ。そんな日常の変化を ...
2022年 2つのビィジュアル
きっとこの絵を見たほとんどの方が、タイトルと絵面がマッチしていないことに戸惑われたかもしれない。正直私は、この絵を日本の神話を絵にしたつもりだが、このタイトルはあえてそのことに触れていない。この絵は日本の神話にある山幸彦、海幸彦の世界 ...
2022年 オマージュ・アンフォルメル
WW2以降に生まれたアンフォルメル運動は一気に美術の世界を飲み込んだ。形を否定した絵画とは、いったいそこから何が生まれてくるのか。私はこれこそアートが行き着く禅の世界だと思っている。形と言っているのは意味づけされた形態のことで、象形と ...
2022年 メディテーション 自分を手放す
無我の境地とは何か、昔からよく聞く言葉で分かっているようでわかっていない言葉だ。ところで絵など描いていると急に筆が止まって、絵が進まなくなることがある。原因は自分というものに表現が飲み込まれてしまっていることが多い。では自分とは何かと ...
2022年 メディテーション 在ることを感じる
今日も新作を投稿させていただいた。これは私に対しての実験でもある。先日のサマーディーを味わうという投稿が、実際どれほど現実味の在ることなのか、偏執狂崩れの私が言うことなので、本当は私が一番信用が置けないと思っている。ともすれば、目的を ...
2022年 いろはにほへと
戦前の子供が言葉を覚える時はこのいろは歌を使っていたそうですが、誰の作った歌かは、はっきりしないそうです。仏教の経典から来たという説もあり、色(しき)の儚さを謳っているところは、お経のようにも思えます。
ところで、昔から日 ...
2022年 星のささやき
先日神社の鳥居に懸かる天の川の写真を見て驚いた。普通の明るさでは目に映らないのに、カメラのシャッターを長時間閉じずに写した写真には、くっきりと天の川が神社の鳥居を覆いつくすように映っていた。つまり私たちは目の前にあるすべてを観ているよ ...
2022年 「うさぎと暮らす」
珍しく超現実の世界から離れた作品を描きました。イメージは、日頃覗いているYouTube動画の「うさぎの麦チャンネル」なのですが、動画に投稿者(ウサギの飼い主)さんは顔を出していません、私の勝手なイメージで描いています。
な ...
2022年 ゆだねる
結局何かを握りしめているように思っていても、手の中には何も残らない。私たちは永遠に獲物を捕らえることのできないハンターのようだ。だからといって出来の悪いハンターという評価を受け入れるつもりはない。
そもそもこのような評価を ...
2022年 唯我独尊
お釈迦様が生まれるとすぐに立ち上がり、7歩前に歩いて天と地を指し「天上天下唯我独尊」と言ったそうです。とてもありえないような話ですが、私はここに仏教の重要な教えがあるのではないかと思っています。
さて、ここで言われる唯我と ...
2022年 「何者でもない存在」
結局私が求めているのは、海中で海水を握りしめるようなもの、苦労の割には何も残らないので、お終いとしたいところだ。
ところが、それでは海水を求めてその手に握り締めようとしている、その手とは誰のものなのかという疑問が湧いてくる ...