2022年 心源を尋ねる
私たちの心とは、いったいどこに住んでるものなのだろうか。脳みそが外界からの刺激に反応している様子のことを言うのだろうか。あるいは霊魂と言われるように肉体を離れても、この世とは別の彼岸に暮らすものだろうか、たいがい見たことも無ければその ...
2022年 探求の結果
その結果を得ても次の探求がすぐに始まる、人生はとても忙しいのだ。こんなに忙しいときは猫の手も借りたくなるが、猫に探求を求めても、食うか寝てるか、無駄に散歩に出かけるか、とても探求など期待出来ようはずがない。
2022年 「一乗の舟」
何をするでもなくこの舟は浮かんでいる、どこに浮かんでいるかといえば荒れ狂う恐怖の海だ。
自分は何時この舟に乗り込んだのか、どうしても思い出すことが出来ない。
先ほどより荒れ狂う海鳴りが「ゴウゴウ」と聞こえてはい ...
2022年 「一如にある」
アートを志す者にとって、個性の表現は絶対必要条件と言えます。少なくとも19世紀以降のアーティストは、この表現のために個性的な絵面だったり、斬新なプロセスだったり、表現のプロセスに遡って探求を深めてきました。つまり、アーティストの存在意 ...
1998年 「応用問題」というタイトルです
応用問題 91cm×29cm 木・紙粘土・アクリル彩色
新道展の企画展への出品作品です。場所は札幌の大同ギャラリーで1998年11月に開催されました。絵画を出品していた作家にいきなり立体作品での出品を依頼するという、おそら ...
1995年 「遊びの理由Ⅲ」
皆さん遊びの理由って考えたことありますか、普通自分の欲求を素直に表現するのが遊びだと思いますが、この頃の私は「何故」が止まりません。
というか、もともといちいち考え込む性格だったのだと思います。それでどうなることもありませ ...
1995年「流れ星の来る日に」この絵のタイトルです。
この翌年1986年4月にハレー彗星が地球に大接近します。おそらく当時はその話題で持ちきりだったのではないかと思います。
76年周期で地球に接近してくるこのすい星を生で見ることが出来るのは、私にとって一生に一度のことです。そ ...
2021年 月輪観
お待たせしました、制作過程からお付き合いして頂いた方いかがでしょうか、あなたの想像と違っていましたか。
違っていたということはその数だけの作品が生まれたということです。たとえ想像の中だけだとしても価値は全く変わりません。た ...
2019年 私の名は欲の皮に付いている
赤光社美術展の資料の中からこの絵を見つけました。実はこの絵は世の中に存在していません。ほんの少し加筆しようと思ったら1年がかりの大工事になりました。取り敢えず完成品を2020年の作品として載せたんですが、
自分でいうのも何 ...
独立自尊 奥の細道
この投稿は学問的な素養のない人間の極めて私的な文章です。特に学生の方は注意が必要です。正解は教科書にあります。とはいえそれが正解だとしてもしっくりこないという方には、驚く解釈が次々登場しますので楽しんでいただける ...
1996年 ゆめⅠ
1996年の作品です。ゆめのⅡ
とついで出品しました、はじめて新道展の会員推挙を頂いた時の作品です。今見ても世の中に対してけっこう尖った見方をしていたようです。人間の営みはますます大地から離れていったい ...
今日は好日
人は誰でも人生の目的について考えます。特に自分の置かれた立場に納得できない時、「こんな思いをしながら何故、生きながらえる必要があるのか」とその答えを探します。その目的を探す行為が人生だと仰る方もいます。
どなたの ...
1997年 底流
大きさはF50号の作品で赤光社美術展出品のための作品です。正直な話何を思いながらこの絵を描いていたのか、まったく思い出せません。
作者であっても純粋な鑑賞者です。タイトルから推理すると、目の前に見えている世界の底を流れる何 ...
2021年 今に寛ぐ
結局ニルバーナの世界も、自分が何を見たいかの覚悟でしかない。今この瞬間にある世界は経験や希望の世界ではありません。
ストーリー展開か安らぎかつまり、今ここの世界では、いつまでたってもストーリーのような展開は起こらないのです ...
1996年 ゆめⅡ
ということはゆめのⅠもあります。
いったい何の風景かといえば、我々の生活がどんどん地面から離れて存在しようとしていることへの警鐘です。
すべてのものは包装され、ショーケースに並びます。魚も肉もいったいこ ...