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2023年 日本を護るために

2024年5月1日gallery,ようこそ

2024年 4月8日 差別と無差別

小学校の頃、テレビのロードショウでアンネの日記という映画を観た。最後に映し出されるアンネの家族が消えた屋根裏部屋とエピローグで語られるアンネの日記に切なさを感じない人はいないだろう。そして幼い私にとってもこの映画は悲しみと恐怖の思い出でしかない。私はあの映画を観ながら屋根裏に潜むアンネと同じように、執拗にユダヤ人を追いかけるゲシュタポの足音が、アンネの潜む部屋に近づくシーンに恐怖を感じていた。

ところで今も私は、この映画を不当な人種差別が招いた悲劇の映画だと思っている。とはいえ恐怖のゲシュタポはユダヤ人や政敵をターゲットにしてこれほど非道な行為に及んでいる。ところが、これよりもさらに恐ろしい行為がWW2では極東の片隅で起こっていた。不謹慎な例えだが、ワルシャワに敵が多く潜んでいるのなら街ごと消してしまおうという考え方だ。これは敵だろうが味方だろうが、善人であろうが悪人であろうが、女であろうが子供であろうが関係ないのだ。

何のことかといえば、遥か空の上から爆弾を落とし、街中の罪のない市民を焼き尽くしてしまおうという考えだ。普通の人間がこれほど非道な行為に及べるとは思えないのだが、残念ながら現代は、むしろますますこのような考え方で溢れかえっている。WW2では、たった1っ発の爆弾が出来たおかげで、そのようなことが可能になってしまったのだが、私の感じるところで世の中は、まるでこれが不可抗力ででもあるかのように扱われている。というのも、そのような物を作った人間が、映画になって拍手喝さいを浴ているのだそうだ。これが紛れもない現在のこの世の有様だ。こんなものを世に送り出すことは、普通の人間に理解出来ることではないと思うのだが、この点についてこの映画は表現することが出来ているのか、こんなものを世界に配信するというのであれば、これが及ぼす社会的倫理観は問われて当然のはずだ。

この件に関し伝え聞くところでは、この映画は開発者の苦悩を表現しているというのだが、そうだとすれば、結局核開発は時代がもたらした悲劇であって、彼はその時代の使命を果たしただけなのだとしたいのかもしれない。その理屈で言えばヒムラーもまた、歴史に翻弄され自分の使命に忠実だった一軍人ということもいえる、果たしてこれが正常な倫理観なのだろうか。最近でもどこかのサッカーチームが44のロゴをマークに使おうとしたら、デザインがSSのように見えるということで使えなくなった。SSが非道の象徴であり、どうしてもこの世から消し去りたい記憶なのであれば、核兵器もまた、それを上回る非道の象徴なのである。

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Posted by makotoazuma